なぜ札幌市役所は大通公園に背を向ける?150年続く配置の謎と再開発

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大通公園から見える「違和感」

札幌のシンボル、大通公園。四季折々のイベントで賑わうこの場所で、ふと北側を見上げると札幌市役所本庁舎がそびえ立っています。

しかし、よく見てみると少し不思議なことに気づきませんか?

大通公園という特等席に面していながら、市役所はその華やかな空間に背を向け、窓が並ぶ無機質な壁面を見せています。

正面玄関は反対側の「北1条通」にあり、まるで大通公園を避けているかのよう。

なぜ、札幌の顔であるはずの場所に、市役所は背を向けて建っているのでしょうか。

そこには、150年前の開拓使が描いた「街の設計図」と、札幌特有の歴史が隠されていました。

理由1:大通は「道」ではなく「空き地」だった

私たちが今、公園として楽しんでいる「大通」は、明治初期の計画では「火防線(かぼうせん)」という役割を持っていました。

当時の札幌は木造建築が多く、一度火災が起きれば街全体が焼き尽くされる恐れがありました。

そこで、北側の「官庁街(お役所エリア)」と南側の「商業・居住エリア」を分断するために、幅100メートル以上の巨大な「空き地」を作ったのです。

つまり、当時の大通は「人が集まる場所」ではなく、あくまで延焼を防ぐための「境界線」でした。

そんな境界線に向かって玄関を作る建物は、当時は存在しなかったのです。

理由2:かつてのメインストリートは「北1条通」だった

では、なぜ北1条側が正面になったのでしょうか。

明治時代の札幌において、最も重要な建物は「開拓使庁舎(現在の赤れんが庁舎付近)」でした。

この庁舎へと続く東西の道「北1条通」は、行政の象徴となるメインストリート、いわばエリート街道でした。

市役所の前身である札幌区役所がこの地に建てられた際も、由緒正しき北1条通に正対することが、公的機関としての「正解」だったのです。

大通公園が今のように市民の憩いの場として整備され、街の主役になるのはもっとずっと後の時代のことでした。

チューリップ

現状:パンク寸前の「背の高い庁舎」

1971年に完成した現在の本庁舎も、その歴史を踏襲して北1条側に正面を構えました。

しかし、完成から55年が経過し、市役所は今、大きな曲がり角に立っています。

かつて100万人だった札幌の人口は倍近くになり、職員数は1万人を超えました。

入りきらない部署は周辺の民間ビル5〜6棟に分散しており、その賃料は年間で約5.8億円にも達しています。

さらに、年間100件ペースで発生する水漏れ。老朽化は限界に達しており、新庁舎への建て替えは待ったなしの状況です。

【未来への妄想:150年ぶりに「前」を向く日】

最近のニュース(HBC等)によると、新庁舎の建設は「旧NHK跡地(北1条西1丁目)」が最有力とされ、民間と連携した「複合施設」としての検討も始まっています。

ここで、街歩きを愛するものとしての「妄想」が膨らみます。

もし、新しい市役所が民間ビルと一体化した複合施設になるのなら、150年続いてきた「大通に背を向ける」というルールは、ついに書き換えられるのではないでしょうか。

低層階にカフェやショップが入り、大通公園からふらりと入れるような、オープンな「顔」を持つ市役所。そんな姿が、すぐそこまで来ているのかもしれません。

また、数年前にようやく実現した「市役所地下直結通路」も気になります。

もし西1丁目に新庁舎ができれば、現在の創世スクエアから新庁舎、そして今の市役所跡地を経て、時計台の横を通りチ・カ・ホまで……。

そんな、冬でも傘いらずの「北1条地下大回廊」が完成するのではないか?と期待してしまいます。

写真:札幌市役所の展望回廊から見た時計台

150年目の「前を向く日」を楽しみに

火防線という「境界線」に背を向け、北1条通という「エリート街道」に正対した昭和の庁舎。

そんな表と裏の逆転現象を残したまま、札幌の街は次の時代へ進もうとしています。

大通公園から見上げる、ちょっと無骨で素っ気ない市役所の背中。

150年続いてきたこの「誰も気に留めない違和感」を味わえるのも、あとわずかかもしれません。

新庁舎がついに大通へと「前」を向く未来の景観を想像しながら、今のうちにこの静かな街の歴史の足跡をしっかりと写真に焼き付けておこうと思います。

札幌市役所

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